新富士にメサイアの練習をしに行く途中の
新幹線での出来事です。
I澤さんが、今日練習するかもしれない、
Let all The Angels Of
God Worship Himを口づさんで
いらっしゃいました。
私は、なぜか、その声を聴いていて、
バッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタ3番の
2楽章のフーガを思い出しました。
ちょっと似ている所が、あるからなのですが、
(特にメサイアのオケ・パートの所が)
このフーガは「来たれ、聖霊よ、主なる神よ」
”Komm,heiliger Geist,Herre gott”
カンタータ59番のテーマに基づいています。
そして、このフーガは、そのテーマのせいもあり、
そしてまた、広大な構成のせいもあり、
私の、大のお気に入りの曲であります。
何かから、何かを思い起こすとき、
脳みその中の記憶の層が、揺り起こされる気がします。
好きな物を繋げていけるのは、嬉しいことです。
こうしている今も、端から記憶は埋もれていくのですから。
何をして、何を思い起こされるのかというのは、
その人の歴史でもあります。
しかし、「聖霊が囁いた」としか
思えないような瞬間が、この世にはあります。
N西さんから、チケットを頂いた
チェンバロのコンサートが、
今月の6日に、原宿の中央教会でありました。
演ずるのは、シェティル・ハウグサン。
ノルウェイ生まれのチェンバロ奏者、指揮者です。
プログラムは
フレスコバルディ、ブクステフーデ、J.S.バッハの曲でした。
ブクステフーデの
プレリューディウムとフーガ ト短調(BuxWV163)
を聴いていた時の事です。
まるで、ヘンデルのメサイアと同じテーマのかけあいが、
この作品に出てきました。
And He shall purifyの
10小節目からのかけあいが、まるでそっくり。
g-mollなのも、一緒だし、
これは、メサイアの方が、
ブクステフーデをそのまま、持ってきた感じです。
この時代、テーマを借りてくるのは、
そんなに珍しいことではなく、
版権なんてものはありませんし、
有名なテーマを使って、どんなにすばらしい作品が作れるのかというのも、
作曲家の腕の見せ所だったりするわけですが、
私の言いたいのは、そのポイントではなく、
実は、
何度も、このブクステフーデの曲をオルガンで聴いていたし、
あまつさえ、このブログで取り上げた事まであるというのに、
その瞬間まで、メサイアとの類似性に
まったく気がつかなかった事でした。
反対に言えば、
このコンサートでやっと気がついた訳でして。
馴れ親しんでいる、チェンバロの音で奏されたせいでしょうか・・・
それとも、
それとも、今、メサイアを練習している、私に、
聖霊がそっと囁きかけたせいでしょうか・・・
その思いが、より強くなったのは、
コンサートの終わり、アンコールにハウグサンが
弾いた曲です。
彼は、バッハの無伴奏ヴァイオリンの、
ソナタ3番の、第一楽章アダージョを
チェンバロで弾き始めたのです。
この曲は、教会の鐘を思わせる曲想で、
本来のヴァイオリンよりも、
トランスクリプトされたチェンバロで弾かれると特に、
まるで、教会の鐘が次々に鳴っていく気分になります。
曲が終わりました。暖かい拍手が鳴っている中、
私の頭の中には、
その次の2楽章が鳴っていました。
「来たれ、聖霊よ」
新幹線での出来事です。
I澤さんが、今日練習するかもしれない、
Let all The Angels Of
God Worship Himを口づさんで
いらっしゃいました。
私は、なぜか、その声を聴いていて、
バッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタ3番の
2楽章のフーガを思い出しました。
ちょっと似ている所が、あるからなのですが、
(特にメサイアのオケ・パートの所が)
このフーガは「来たれ、聖霊よ、主なる神よ」
”Komm,heiliger Geist,Herre gott”
カンタータ59番のテーマに基づいています。
そして、このフーガは、そのテーマのせいもあり、
そしてまた、広大な構成のせいもあり、
私の、大のお気に入りの曲であります。
何かから、何かを思い起こすとき、
脳みその中の記憶の層が、揺り起こされる気がします。
好きな物を繋げていけるのは、嬉しいことです。
こうしている今も、端から記憶は埋もれていくのですから。
何をして、何を思い起こされるのかというのは、
その人の歴史でもあります。
しかし、「聖霊が囁いた」としか
思えないような瞬間が、この世にはあります。
N西さんから、チケットを頂いた
チェンバロのコンサートが、
今月の6日に、原宿の中央教会でありました。
演ずるのは、シェティル・ハウグサン。
ノルウェイ生まれのチェンバロ奏者、指揮者です。
プログラムは
フレスコバルディ、ブクステフーデ、J.S.バッハの曲でした。
ブクステフーデの
プレリューディウムとフーガ ト短調(BuxWV163)
を聴いていた時の事です。
まるで、ヘンデルのメサイアと同じテーマのかけあいが、
この作品に出てきました。
And He shall purifyの
10小節目からのかけあいが、まるでそっくり。
g-mollなのも、一緒だし、
これは、メサイアの方が、
ブクステフーデをそのまま、持ってきた感じです。
この時代、テーマを借りてくるのは、
そんなに珍しいことではなく、
版権なんてものはありませんし、
有名なテーマを使って、どんなにすばらしい作品が作れるのかというのも、
作曲家の腕の見せ所だったりするわけですが、
私の言いたいのは、そのポイントではなく、
実は、
何度も、このブクステフーデの曲をオルガンで聴いていたし、
あまつさえ、このブログで取り上げた事まであるというのに、
その瞬間まで、メサイアとの類似性に
まったく気がつかなかった事でした。
反対に言えば、
このコンサートでやっと気がついた訳でして。
馴れ親しんでいる、チェンバロの音で奏されたせいでしょうか・・・
それとも、
それとも、今、メサイアを練習している、私に、
聖霊がそっと囁きかけたせいでしょうか・・・
その思いが、より強くなったのは、
コンサートの終わり、アンコールにハウグサンが
弾いた曲です。
彼は、バッハの無伴奏ヴァイオリンの、
ソナタ3番の、第一楽章アダージョを
チェンバロで弾き始めたのです。
この曲は、教会の鐘を思わせる曲想で、
本来のヴァイオリンよりも、
トランスクリプトされたチェンバロで弾かれると特に、
まるで、教会の鐘が次々に鳴っていく気分になります。
曲が終わりました。暖かい拍手が鳴っている中、
私の頭の中には、
その次の2楽章が鳴っていました。
「来たれ、聖霊よ」