h-moll♪diary

東京ジングフェラインという合唱団に所属する rentzの練習日記

2007年12月

満ちてきて溢れる

今回の練習は、Osannaから始まりました。
O-sa-nnaのsaにアクセントを。綺麗に響かせるように。
in excelsisの-sisを力んで終わらせないように、力を抜いて。

まだ、何を言っても出来る状況じゃないので、
今日もコメントはありません・・・と、先生(^^;

ジングの皆様、来年はOsanna、本当に頑張りましょう。
お互いにお互いを励ましあって、協力して♪
やっぱり、こういう時は、パートリーダーが必要かなって
思いますね・・・。
まあ、ソプラノ1はみなさん、きっちり取って来られますから
大丈夫ですけど。

そして、Kyrieに。
まずは、冒頭の4小節を練習。
アカペラにして歌って下さいと言われて歌うも、
三音目にして、「さっそく違うね」と
言われ・・・(^^;

難しいのですけど、本当に難しいのですけど、
出来るだけ力を抜いて。
4小節目のeleisonのsonの音を
力まず終わること。
力んで終わるのは、日本人的な気合いの入れ方で
バッハには、ふさわしくないし、
必要ないし、そぐわないみたいです。

フーガに入り、ソプラノもアルトも
eleisonのsonがどこかに消えてしまうので、
最後まできっちり責任をとって。

最初のテーマの4,5音目、8,9音目、
12,13音目と、音が上がって開いていくように、
成長して行って、13,14,15と
降りる所の、ニュアンスをきちんと把握して、和声を
もう少し感じて。
バスが最後に出てくるところは、いつも重要なので、
その事実を認識して歌うこと。

次にGloriaを、歌い、
Et in terra paxの9小節目からのバス。
10小節目の一音目のタイの音で長く伸ばすところ、
保っている感じから、器に何か満ちてきて、
落ちていく感じが欲しい。
溢れる手前の瞬間に何か、うまみがないとね・・・
と先生はおっしゃいました。
こういう、言葉の表現って、先生、本当に素晴らしくって
さすが、音楽だけでなく文学の方にも通じていらっしゃると
関心してしまうのでした。

次に、Gratias agimus tibi,
最後に、Cum Sancto Spirituを歌いました。

ところで、今回の練習で一番美しいなと思った音は・・・
実は、O沢先生が弾かれた、
Cum Sancto Spirituの始まる前、コーラスに音を取らせるための
アルペジオだったりして♪
MDある方は聴いてみてください♪
もう、ただ、ポーン、ポロロロ~ンって弾いてるだけなんですけど、
とてもとてもとても美しいのです。
きっと、誰が弾いてもあんなにはならないと思います。
O沢先生は、本当に素敵な音を
作品じゃないところにまで、出していらっしゃいます。

たとえば、F島先生に言われて、
伴奏を途中でやめる時、普通に止めてしまう時がほとんど
ですけど、一回、弾いていてディミニエンドしていって、
フェイド・アウトして止められた事があって、
は~~~~~、すっごい~~~~~~~綺麗~~なんて、
ミョーに感心してしまったのでした。
(もちろん、普通の演奏は言うまでもなく、
素晴しいのです。)

Cum Sancto Spirituの117小節目から、盛り上がっていって
122小節目で満ちて、溢れて落ちてくるその、盛り上がりが
イマイチなので、ここが満ちるところともう少し、認識すること。

そんな感じで、ジングの今年最後の練習は終わりました。
今年一年、ミサ・ロ短調と一緒で、本当に幸せでした。

練習からの帰り道、電車の中で、マリ=クレール・アランの
CDのブックレットの中から、バッハの肖像画が
微笑んでくれたような気がしたのは、
気のせいではないのです。

来年も、バッハと音楽と共に。
D・S・G

Rensen Kaiouji




エロスとタナトス

今回の練習は、Osannaから。
2コーラスのテナーは二人しかいらっしゃいませんでしたけれども、
まず、最初にこの曲を歌いました。

しかし、またまた、どのパートもイマイチな音取り状態の為に
次回回しに・・・。
次の練習は、年内最後ですし、ちゃんと合わせたいですね♪

そして、Dona nobis pacemを1コーラス、2コーラスと
分けて歌い、細かく調整しました。

Credoを歌い、Credo2を歌い、
Credo2では、各各、Patrem omnipotentemのテーマを
くっきりと音を変えて出すこと。
nとmを区別し、語尾まではっきりと発音すること。

次に、Et inacarnatus estを歌いだしましたが、
冒頭のソプラノの出だしが、キツイ声だったので、
先生は「きつい、きつい、きつい、きつい」と4回
繰り返され、
やりなおしても、まだ、きつかったので、
さらに13回「きつい」を繰り返されました・・・
(いや、比喩でなく本当の話・笑・・・13回。
Crucifixusのバッソと一緒の回数だったりして。)

そして、我々ソプラノはもっと、柔らかい声を出すべく
修行の道に入ったのでした。(すこし、オーバー)

そして、Crucifixus.
先生は、冒頭の音型の半音を、痛みをこめて心から歌う事を
何度目か繰り返して言われ、
しかし、このCrucifixusは、ただ、辛く痛いだけではなく
どこかしら、官能が漂うようにとおっしゃいました。

上手く、先生の言葉を表せないのですけど、
ヘルマン・ヘッセの言葉に、人間は、一番つらい苦悩の時の表情と
歓喜の最きわまる表情は同じだというような、文章が
あるそうです。
(検索しましたが、ちょっと、探せませんでしたけれども。)
そのように、苦痛だけではなく、なにか、少し官能的な
両極の感情が欲しいそうです。

そう言われて、私が思い出したのが、
エロスとタナトスは表裏一体だという
誰かの言葉です。(誰だったのか、思い出せません・・・
きっと、ギリシア人でしょうけど。)

ま、この問題はあんまり、追及しないでおくとして(^^;
(言葉には出来ない感情もありますものね。だから、
音楽があるのだし。)
この音楽が、本当に、特別な音楽であること。
極限的な人知を超えた物であること。
そんな事を、私は感じました。

そして、輝かしいEt resurrexitに突入し、
その奇跡を思い浮かべるにつれ、
この二つの曲は、両極であり、しかも、ひとつの中にも
二つが含まれているのなら、
究極の入れ子思想のようだなと、などと思いました。

こんなところで、太極の考え方に会えるとは思わなかったなぁ、とか。

閑話休題。

大幅に脱線しましたが、
(こんなこと書かせたら、際限ありませんから、
この辺にして。)

次回、今年最後の練習、頑張りましょうね♪



(訂正です)

私の記憶違いから、
ヘルマン・ヘッセの言葉が、ゲーテの言葉に
なっておりました。
訂正と共に、お詫び申し上げます。
正しくは、ヘッセです。

先生、みなさま、どうも、すみません~(^^;

Progression

ところで、最近はフェルトホーフェンのミサ・ロを、
ヘビロテしているのですが、
Crucifixusは、なんだか物凄くインパクトあります。
一度聴いたら忘れられないほど。
そして、その次の、Et resurrexitが本当に素晴らしい!
ソロとコーラスが渾然一体となった感じで、何だか
不思議な感覚です。

閑話休題。

先週の練習ですけど、
前半は、Sanctus。
ここの所、ずーーっとこれを練習しているのですけど、
進歩が見られないと、先生はおっしゃいました(^^;

バスは、72で出てきて、coeliのチェを強くくっきりと。
93からの、ダンスのような、メロディは
ソプラノ1、2の音形と、もうひとつ、アルトから下の
音形があり、両方とも、ダンスのような、音の揺れがある。

アルト、ejusのスまで、はっきりと発音すること、地声にならないこと。
139から、140にかかったタイの音を、テナーはくっきりと出すこと。
同じく、140のアルト2のタイの音を、はっきりと。

休憩の後、今回はちゃんと
Osannaを練習しました。

90~93にに、ティンパニが入り、そこが一番の盛り上がりの
場所となるので、そこめがけて盛り上がり、
後は、ゆるやかに降りていくこと。

ラスト、オーケストラの後奏があるので、
合唱の終わりは、テンポを落とさずに駆け抜けること。

次回こそは、進歩が見られるように、
Go-Go!ジング!



Harmonia mundi

「調和」について語ろうと思う。古くはピュタゴラスが発見した、
ピュタゴラス的音階論からケプラーを経て、現代に至る「調和」
の理想について。中世の人々が<ムシカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)>
<ハルモニア・ムンディ(宇宙の調和)>と呼んだ耳に聞こえない
宇宙の音楽について。
 そして、耳に聞こえる実際の音楽である<ムジカ・インストゥルメンタリス
(楽器の音楽)>と人間の体に宿る<ムジカ・ウマナ(人間の音楽)>
について。

           ★★★★★★★

ピュタゴラスはこの世界は「調和(ハルモニア)」という、
寸分の狂いもない法則、規則によって支配されていると
考えていた。そして、すべての善きもの、優れているものは、
すべて調和であるとした。

現代の我々は、寸分の狂いもない法則性というものは無く、すべての事は
微妙に揺らいでいる事を知っている。
しかし、揺らいでいる我々をつつむ調和というものもある。
それが、刻々と修正を重ねていかなければならない物であるとしても。

バッハのMesse in h-mollの Credoを歌うとき
私の心は、調和を感じる事が出来る。
天体の運行のごとく、秩序だって
進行していくその、美しく強い音楽に。

あたかも、運命の輪が回るがごとく、Your turn,Your turnと
くるくる回る主題を聞いていると、物には順番があり
いつかは自分の番が回ってくると思う事が出来る。
そしてそこに、一人づつが個性を発揮しつつも、
ひとつの調和を作っているという、人間関係の理想をかいま見る。
たとえ、それがあまりに幸せな理想であって
現実には起こらない事であるとしても。

           ★★★★★★★

ピュタゴラスは言う。我々の魂はもともと調和そのものであるのにも
かかわらず、現実にはいろいろな不調和で悩み苦しんでいる。
なぜなのか?
それは、調和であるはずの、自分自身を忘れているからである。
忘れていた物を思い出すためには、調和に触れれば良いとも言う。
調和にあふれた美しい音楽、ハルモニア・インストルメンタリスを聞けば
それに干渉されるように自分の調和を思い出す事ができるはずであると。

だから、私は調和について書く。
忘れている自分自身を思い出すためにも。

そして、天に向かって歌う。
調和があるのは、天にだけではなく
地上もまた、天界の一部であるという事を
忘れないためにも。

戻って来た人々

始まる前の事。
ご旅行に行っていらした、S山さんが帰っていらっしゃいました。
友人のO倉さんも、本番が終わって、練習に戻っていらっしゃいました。
ああ、これで、ソプラノ1も、安泰というものだわ・・と
私は、二人の間で、テイクアウトのGodivaのカフェモカを飲みつつ
ちょっとほっと一息ついていたのでした。幸せ♪

先生が、入っていらっしゃいました。
髪の毛を切って、リフレッシュされて良い感じで
いらっしゃいましたが、
何だか、ちょっと疲れていらっしゃる御様子・・・
あれ、どうしたのかしらと思いましたが、
練習が始まったら、普段の先生に戻っておいででした。
(その日の先生の日記↓)
http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/akiyasu_f/view/20071130/1196402528

ソプラノ1の二人は戻られましたが、、
今回は、テナーがお二人しかいらっしゃらなくて、
またまた、Osannaが練習できませんでした。

ということで、今回は、Sanctusに捧げられた日になりました。
最初から、丹念に。

上三声の三連符が、ベタベタと重くなるので、注意。
軽やかに。
San-ctusと歌うctus部分の音の、最後のsはきっちり伸ばしてから
発音すること。
ソプラノ1は144小節目の音を、くっきりと出し、
147からのテーマをはっきり、聴きとれるように
入ること。

158のバスの2拍目からのテーマに沿って、
ソプラノ1、2はそこから、新しい気持ちで
歌うこと。
最後の和音を、美しく。

次は、全曲練習の時に、特に、出来の悪かった
Qui tollis peccata mundiを歌いました。

憂いを含んだこの曲は、音色もそのように。
長く伸ばす音符にふくらみを持たせる事。
27小節目から、はじまる、バスのテーマから、
この曲の緊張度が高まるので、各パート
それを念頭において、歌うように。
47小節目のコーラスの一斉休符を感じる事。

いや~、この曲は難しいです。
メロディラインが情感たっぷりに歌えてしまうので、
私にとっては、かなり、危ない曲です。
そう、ヴィヴラートがかかりそうになるんです。
下手すると、とんでもなくオーバーな声が出てきて
しまうんですね。
抑えるの大変だったです。
(いえ、なんというか、それ以前の問題のような
気もいたしますが・・・。
もう、本当にこの時のMDは聴きたくないです。)

という事で、安泰も束の間、
また、頑張りましょうの境地に突入してしまった
今日この頃であります。
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